ゆいなの健康ライフハック

QOL(クオリティー・オブ・ライフ)を上げましょう♪

「ブログの書き方本」を何冊か読んでみての感想(一区切りの投稿です)

書名は出しません、悪しからず。
それらの「人気ブログの書き方」によると、私の記事はこんなに炎上しましたといった炎上自慢だったり、注目を集めるために極論を述べましょう、それはきっと誰かがいいたいことですといったもので傾向は同じでした。

要は、「反応」を得るためにわざと読者に「過激な刺激」を送れ、抵抗力の弱い人ほど「反応」してしまうだろう。という。

宗教や心理学で、未熟な人や未発達な人ほど反応しやすいから、自分を高めて「無駄な反応を減らしましょう」と教えているのとは逆のことが書かれていたわけです。「反応させろ」と。

極論を連投して多くの人を炎上に巻き込んで結果的にインフルエンサーと呼ばれるようになる。
それは心理学や宗教の「反応」の理論を持ち込めば難しいことではないです。

ですが、仮に筆者がそういう炎上(反応)マーケティングを上手く大々的にやったとして、それは人々の役に立つことでしょうか?

矛盾に辿り着いたのでしばらく休ませてください。いつか、この分岐点まで戻る価値があると思えば戻ってきます。プライベートですること考えることが多すぎるのも迷いの原因かもしれません。

皆様、お元気で!(^_^)

メンヘラ芸の分類(自傷)心のSOS

ご無沙汰しております。時間ができたので記事を書きます。

メンヘラ芸と呼ばれる物があります。自傷の一種で、本質は「無能の証明」です。

この辺の本を参照。

「無能の証明」とは教育心理学用語で、追い詰められた若者(「若者」に限りませんが)の、心理を表します。

漫画や小説などで、精神的に限界まで追い詰められたキャラがスッと自傷する場面を見たことはないでしょうか?あれは本人の、「私にこれ以上期待しないでください。私はこれほど何もできない(無能な)人間です。もう私を放っておいてくださいという心のSOSです。

その心のSOSにはグロテスク趣味に走る手段もあります。

10代前後頃に、突如若者がグロテスクな表現をし始めたりグロ表現を蒐集し始めたら注意です。ごく一部の例外を除いて、その時期のグロテスク趣味は心のSOS(無能の証明)とみなされます。注意深く見守ってください。

メンヘラ芸もそれら無能の証明の一種です。当人たちは私はこんなに「無能」だから、もう許してください!と、必死で訴えているのです。

もしもここを見ているあなたにメンヘラ芸を繰り返す人がいたら、その場合本人は「あなたに対して」、もう許してください、期待に応えられませんと主張している可能性があります。見極めて、距離を置くことを考えてください。そばに居続けると、本人の負担が増えてその人が潰れてしまう場合があります。

「許してください」と言っている人からはそっと離れる方が良いことが多いのです。

この話題はメンタルヘルスカテゴリーに入れておきます。

【姿勢の良さ・悪さで決まること】胡散臭い人の「判断」

人間の赤ん坊は生まれつき立つことも座ることも困難です。その後育てられていって、姿勢制御を身につけます。
言いかえればーー
若くても姿勢の良い人は、それまでに既に多くの姿勢に関する指導・助言・教育を得て(受けて)いることが多いです。中には自発的な「気付き」で自らを制御した人もいるかもしれませんが、「気付く」人は少数派です。

つまり、姿勢の良い人は、それまでに教育に恵まれた環境にいた可能性が高いです。
姿勢が良い悪いでその人のそれまでが知られてしまいます。

面接や契約のシーンでは、相手に「どうぞ」とイスをすすめて、座った瞬間に身だしなみと姿勢はチェックされます。ここで相手を見て「今日の人はダメかな」と判断してしまうことはよくあります。どれくらい教育を受けてきたか、日々自分を律した生活を送っているかは大体分かるからです。
その後に話を聞いてみて、足が悪いのでこのような姿勢になってしまいます、悪しからず、などと言われて多少ポイントが入れ替わる場合もまれにあることを付記しておきます。

姿勢の話題には以前、将棋カテゴリでも触れていますのでご参照ください。

以前、とある契約に関して複数の相手と会いました。筆者より年長者も横にいたのですが、姿勢や身だしなみで瞬時に判断がついてました。「この人は姿勢制御がなっていない(だらしない)」となると、当人の語るこれまでのハイレベルの収入や経歴に「本当か?」と疑問符がつけられます。疑問符は疑問符のままで確認はしない(できない)ことが多いです。

が、経歴や現状が疑問符だらけになった人(「胡散臭い人」と判断されます)と今後契約を進めることはないです。

勿論……姿勢や身だしなみだけではないです。仕草や口調から判断されることも多々あります。そしてそれらは全て前振りであって、その上で「その場の本題」があるはずです。それが「判断」のメインですが、そこまでに辿り着く前にふるい落とされる人は多いです。が、そういう話題は世知辛いしあまり好きでは無いので割愛。

このブログの一回目ぐらいで触れていますが「判断すること」には慎重にならねばなりません。しなくていい判断ならしない方が良いです。多すぎる判断は、「自分は決める立場の人で偉いのでは」という勘違い(慢心)につながります。

でも、自分が選ばれる立場の場合は相手は競って判断してきます。
そういう場合のためのライフハックになれば、と筆を執りました。
役立てる人は役立ててください。

冬場のウォーキング 足の裏の神経痛と筋肉の冷えに

足の裏が冷えたり痛む場合、まず病院です。
でも病院で何もなかった場合、ただ単に「体調が優れないとかでは……」と原因がはっきりしないのに足の裏が痛い場合ひとつのソリューション(解決法)として「足首をカイロで温める」という方法があります。

冬場のウォーキングで足が冷えて痛い……そんな時にカイロ付きのレッグウォーマーを足首に巻いてカイロを付けてると、例えるなら「凍った足が溶けるようなじわじわ癒やされる感覚」がありました。なので筆者同様に救われる人がいるかもなので載せておきます。

ただ、これで救われるからといってそのままウォーキングを毎日続けるのはどうかと思います。
足が痛い場合は休んだ方がいいです。
これ、当たり前だけど忘れがち。「毎日ウォーキングする」と決めていると「休んではいけない」みたいな感覚(錯覚)に陥る時があるので注意が必要です。適度に休んでください。

何事もほどほどにバランス良く~(^_^)

「草木また成ず」(そうもくまたじょうず)【有情と非情】仏教の救済対象は、

「草木また成ず 如何にいわんや有情をや」
意味:草木(そうもく)といった心や感情のないもの(非情)でも成仏するのだ。心や感情を持った「有情」が成仏できないことがあろうか。

言い回しの構文としては「悪人正機説」に似ています。「善人なおもて往生す いわんや悪人をや」。
さておき。

草木また成ず~。の文は森羅万象を「有情」と「非情」に分けています。心や感情があるものが有情で、仏教の救済対象とされます。対して心や感情がないものを非情と呼び、主に「自然」を当てはめます。「自然は始学」。自然は始めから学んでいる(悟っている)ので救済する対象では無い、との理屈です。

有情(主に人間)が成仏できないことがあろうかと言っていますが……。まず「成仏」とは「悟りを開くこと」で、仏教で言う「最高真理を知ること」を意味します。

が、生きながらにそれを実現した人(最高真理を知った人)は仏陀だけではないかとも言われています。これは一説で、他にも達磨大師も九年坐禅して「悟った」ハズではと言われれば、それも一説です。諸説ある、の意味。

そこで言う「最高真理」の内容ですが、仏陀だけが知った説によると仏陀はその内容を語らなかったので、誰にも伝わっていない(誰もその真理の内容を知らない)ことになります。笑

これだとあまりにも意味の無い話題になってしまいます。

注目したいのは、仏陀が語った「悟りに向けて」の「生き方」「自分の守り方」「自分のコントロールの仕方」です。これは現代に生きる我々にも活かせるハズです。
個人的にはそれらの効率の良い生き方をしてQOLを(生活の質を)上げようとの目的です。

生活のクオリティを上げていきましょう。この話題は「宗教」か「ライフハック」カテゴリで時々続けていきます。

お香を焚かずに白檀(ビャクダン)の香りをまとう技。アパートなど向け。

筆者が使っている白檀(ビャクダン)の香水です。

ビューナパルファン 白檀

ビューナパルファン 白檀

夏場の肌の露出が多い季節や冬場の部屋にこもりがちな季節に、香りがしてるのと何もしていないのでは気分が全然違います。
脇の下や首筋にプッシュするのがお薦め。

これ、アパートやマンション暮らしでお香を焚きたいけど焚けない人には最適ではないかと。

何せ煙は一切無いですし、白檀の香りを自分が纏っているときにもしも「何か匂う」などと言われたら「白檀の香りを知らないのですか?」と返して「香りを知らない方が無粋」で落ち着きますし。

個人的には白檀が好きなのでお薦めしますが、キンモクセイの香りなども出ているようです。良い香りをかぐと溜まっているストレスが軽減するので、香りには気を配りたいものです。